沿革

日本化薬は1916年、日本初の産業用火薬メーカー「日本火薬製造株式会社」として誕生しました。その後、帝国染料製造株式会社、山川製薬株式会社を吸収合併し、1945年に現在の社名である「日本化薬株式会社」となりました。

日本化薬の誕生:1916〜1945年(大正5〜昭和20年)

1916年、民間爆薬製造会社の設立を決意した山本条太郎が、金子直吉、茂木惣兵衛とともに日本火薬製造株式会社を設立。1943年には帝国染料製造株式会社と山川製薬株式会社を吸収合併して、染料事業、医薬事業が発足しました。1945年には総合化学メーカーとしてのさらなる発展を目指し、「火薬、染料、医薬」という3事業を核に進むべく、社名が日本化薬株式会社となりました。

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復興から成長へ:1946〜1956年(昭和21〜31年)

第二次世界大戦後、1950年代には火薬の生産量が飛躍的に成長。染料事業では、1949年ごろから蛍光染料の開発を開始し、出荷量が国内トップになるまでに成長しました。医薬事業では1948年にペニシリンの製造を開始。1955年には国内生産ペニシリン錠剤の45%のシェアを占めるまでに成長をしました。また、スイス・ガイギー社と提携を結び、1956年に殺虫剤ダイアジノンの生産を開始。現在のアグロ事業につながる農薬部が新設されました。

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高度成長期の事業展開:1957〜1972年(昭和32〜47年)

1962年、TQC(総合品質管理)の進歩に貢献した者に贈られる、デミング賞への立候補を決意。全社員への社内教育を経て、1963年に受賞をしました。医薬事業では、1962年に梅沢博士によってブレオマイシンが発見され、日本化薬にて抗がん剤として開発。1969年に上市しました。また、1965年にはエポキシ樹脂研究開発プロジェクトが発足。その後1971年に樹脂部が新設されました。ほかにも、オランダ・アクゾ社と合弁で現在の化薬アクゾ株式会社を設立して有機過酸化物の製造・販売を開始、高崎に医薬品製造の新工場竣工など、大きな事業展開がありました。

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試練のなかの事業展開:1973〜1980年(昭和48〜55年)

第一次石油危機、炭鉱の閉山などで事業にとっては厳しい状況が続くなか、日本化薬は組織の大改革や工場の統廃合などで経営基盤を強化。1973年には老人医療費支給制度の導入などで医薬品業界に追い風が吹き、ムスカルム錠やパナカヤクを基剤とするパップ剤などを発売しました。また、この時期にアジアの農薬市場に積極的な展開が行われたほか、触媒ライセンス事業などがスタートしました。

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事業の再構築と新規事業への挑戦:1981〜1997年(昭和56〜平成9年)

1983年、これまでの5事業部9部1室制から、医薬事業本部と化学品事業本部からなる2事業本部7部3室制がスタートしました。また、国際化への対応としてニューヨークとデュッセルドルフに駐在員事務所を開設。さらに1993年には、「台湾日化股份有限公司」が設立され、上海駐在員事務所が開設されました。1990年代後半には製造拠点の海外移転を推進し、中国に合弁会社「招遠先進化工有限公司」、次いで「無錫先進化工有限公司」を設立しました。このほか、液晶表示用偏光フィルムを生産する株式会社ポラテクノを設立。また、インフレータ事業をスタートしています。

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グループ経営とグローバル展開:1998〜(平成10年〜)

2000年以降、日本化薬は、東京工場、福山工場、色材事業の営業部門などを分社化し、グループ経営とすることで経営の効率化を図ります。また、各事業で新規事業が開始されました。機能化学品事業では、感光性樹脂事業、C4触媒開発などに進出。セイフティシステムズ事業ではアメリカとチェコでの事業が始まり、医薬事業ではがん関連分野のスペシャリティファーマへの道を歩み始めました。

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